投げ込まれた私

何を書こうか、ずっと悩んでいた。

10年ぐらい前から「神の国への至り方」を書きたいと思っていた。

この売れていない芸術家が、現代の人、そして未来の人に

神の国への至り方を残しておきたいと思ったのだ。

 

売れてない芸術家が書くのでちょうどいいと思う。

成功者の言葉にしか耳を貸さない者へ教えることはないからである。

 

神の国とは創造の源である。

アイディアはどこからやってくるのか?と問われれば、明らかに共通地下であるが(共通地下についてまた別のトピックで詳しく書く)、アイディアに満たされる。創造の源に繋がった状態こそ、神の国へ至れるのである。

私はそのためのヒントを書きたいと思っている。

これは完全な地図ではない。不完全である。

しかし桃源郷への完成された地図なぞないのだ。

 

この神の国へ至る方法を読み、自分なりに試行錯誤して、たどり着いた神の国へ遊びに来て欲しい。

 

「投げ込まれた私」

この世界に生まれるとはどういうことかわかるだろうか?それは水槽に投げ入れられたに等しい。昔、聖剣伝説legend of manaというゲームがあったが、あのゲームのステージ選択にそっくりである。

すでにある世界に、卵を投げ込むのである。そして落ちた場所に根付くのである。我々は予告なしに説明なしに、この世界に投げ込まれた。だから意識を持った瞬間から周りをみて、この世界はどういうものかを観察し順応する。

人生って何だろう?あなたの中にその答えはあるか?生きて死ぬことか?もっと言えば、学校を卒業し、働き、結婚し、老後はのんびり過ごすことか?

その何となく心の中にある、この世界を分かったつもりの考えが危険であり、間違いである。人生がどう言うものかは生きて死ぬまでわからないし、地域によっても身分によっても変わる。大変幸福な人生もあれば、大変不幸な人生もある。いや、ここで伝えたいことはもっと原始的な、この世界ってたくさん人間がいて、いろんな国があって、食べ物を食べないと生きていけないとか、みんな仕事しているとか、服着てるとか、そう言うこと自体がよくわからないということである。

どう言う人生を送るかもわからない。なぜここに生まれたかもわからない。種を残す意味もわからない。どうして自分以外のものからエネルギーをえるのかもわからない。食べるとは何か?わからない。行為・生理的なそう言う部分に名前をつけて、理解したことにするが、結局はわからない。

結局、この全ては【わからない】この一語に集約できる。

この、わからない、こそがはじまりであるし、生まれると言うことである。

わからないことこそ、誕生なのだ。

もしあなたが神の国に至りたければ、

そうだな・・・芸術家としてインスピレーションを得たいのなら

この世界は全てわからない。わからないことを感じて欲しい。

わからなければ、もっと知りたくなる。あれこれ考えたくなる。

目を閉じて全身で世界を感じたくなる。

だってわからないからだ。わからないことは怖い。わからないことは面白い。

ぐちゃぐちゃになった気持ちがわからないという気持ちと対峙する。

そうやって、わからないを感じるのだ。

私はこの世界に放り込まれた。あの時も、そして今も、全くわからない。

そのわからないを感じれば、神の国の存在に気づけるだろう。